お盆前の連休とあってか、稽古人数は大人1名と中学生1名と小学生2名の合計4人による稽古となりました。
小さいお子さんにはとにかく楽しんでもらうのが大事だな、と思います。
まだまだ合気道とは何なのか?とか考えなくていいと思います。
とにかく先生が見せてくれた動きを真似して、出来たら喜ぶし、出来なかったら考える。
だから人数が少ないときは、先生のお話も聞けるので私自身はチャンスだと思ってます。
今日の稽古でのポイントは、合気道の精神の冒頭に出てくる言葉。
「合気とは愛なり」についてです。
合気道は試合をしません。もしくは試合を前提とした稽古(練習)をしません。
そもそも武道は勝負と言うのは一時のもの、という考えなのです。
今日勝ったとしても明日負けるかもしれない。
だから勝ち負けよりも今日の自分を超えていくことが大事なのです。
これは合気道の精神の中にある、「絶対的自己完成の道なり」に表れています。
格闘技や試合を目的とした場合、相手の弱点を突いていくように考えるでしょう。
それはすなわち、相手を「負かす」ことが目的となります。
しかしそんな考え方で世の中を渡っていけば必ず争いになってしまいます。
そんなの当然じゃないか? 競争社会なのだから。
そうかもしれません。でもそうではない社会だって可能なのです。
だから合気道は試合を目的としていません。
技の原理も相手とぶつかって制するようには出来ていません。
むしろ、相手の臨む方へ導き共に進むという形になっています。
そうすることで気づかないうちに無用な争いはなくなります。
相手の弱点を突くのではなく、良いところをどんどん導いてあげる。
これこそ「合気とは愛なり」の最も大事な観点ではないでしょうか?
だからこそお子さんたちは、この争わない武道である合気道を続けて欲しいのです。
道場(教室)に来たら、必ず礼拝と挨拶と掃除をします。
掃除だけにしても、どうやったら相手に喜んでもらえるか? ということを考えさせられます。
そうやって社会的常識も身についていきますし、段々と技も出来るようになります。
一度大人を呼吸力(合気道における力の使い方のような意味の言葉)で崩したりできると、
それはそれは大変な自信になっていきます。
入門当初は大人しかったお子さんが、いつの間にか他のお子さんたちを引っ張っていく存在になったりします。
そういう成長を観ていると、大人としても気が引き締まる思いがします。
お子さんたちは合気道以外にもピアノや部活動など、社会人より忙しい生活を送っています。
沢山学んでその中から何に気づくか?
自分はどうありたいのか?
そしてそういう自分は周囲にどういう影響を与えるのか?
そうなった場合、どんな世界が作られるのか?
大げさですがこういうことを考えていけるようになってもらうとこれからの日本社会は希望が持てます。
私が合気道を学んできて今気づいていることは、
「何も出来ていない」
ことです。(^^;
おいおいちょっと何言ってんの??
とツッコミが殺到しそうですが、頑張ったからこそ壁にぶち当たるものです。
そしてそこを飛び越える。
つまり「納得」というものを手放し勇気を出して超えてみることが大事になります。
成長が早い子は、こういうことが無意識に出来ているのだと思います。
「納得」は自分の世界の内側にあるものなので、納得ばかりしていたら成長はしません。
だからこそ、「納得」を捨てて違う角度から物を見る目を養ってもらえたら嬉しいですね。
ちょっと最後は難しい話になってしまいましたが、要は2点。
1.合気道は相手と共に成長していくもの。それが合気とは愛なり。
2.お子さんにとって心の成長に大きく響くものである。
合気道って何だろう??
これから目の前の枠を飛び越えて、一緒に学んでいきましょう。
たいこでした。