盆休みも終わり通常の日々が帰ってきました。
合気道の稽古(練習)も今日から再開です。
盆を過ぎると涼しくなると言いますが、若干気温は下がってるみたいです。
それでも稽古場は暑いので3台の扇風機を回しております@@;
本日の稽古は大人3人、子ども3人の合計6人でした。
子どもと言っても一人は6年生なので、大人と同じ対応をしても全然大丈夫ですね。
相手と一体となること。
「結び」の概念を説明すると熱心に聞いてくれます。
若干反抗期入ってましたけど💦
稽古は常に子どもと大人が組み合わせになるようにします。
自分も有段者として教える立場なので、言葉はリアクションには細心の注意を払います。
親御さんも見られてるので、手を抜いたりできません。
稽古の最後には、大人一人ずつ自由技10本投げをしました。
休み明けなので皆動きが鈍かったですね^^;
稽古終了後、いつものように外で大人だけでジュース飲みながら井戸端会議をします。
今回は先生と私と有段者の女性の3名。
高校野球や音楽の趣味とか雑談しながら、最終的には合気道の話になりました。
そこで出た結論としては、合気道は突き詰めていけば「合気道の精神」に行き着く、ということです。
「合気道の精神」は砂泊先生が、植芝先生から受けた教えを纏めて作られたものです。
稽古前には必ずこの「合気道の精神」を声を出して読み上げます。
他の団体には無いものなので、時々「何それ?」って言われることもあります。
が、とても良くできた文章だと思ってます。
合気とは愛なり。天地の心を以って我が心とし、万有愛護の大精神を以って自己の使命を完遂する事こそ武の道であらねばならぬ。合気とは自己に打克ち、敵をして戦う心無からしむ、否、敵そのものを無くする絶対的自己完成の道なり。而して、武技は天の理法を体に移し霊肉一体の至上境に至るの業であり、道程である。
これが合気道の精神です。
合気道の稽古を通して、この精神のどの部分が出来ていないのか?
なぜ出来ないのか? それを常に考え続けます。
特に初めの「合気とは愛なり」について。
合気道は試合を目的としない武道であります。
もし、試合を目的とするなら勝敗が必ず付きます。
強いか弱いか?それが本質になります。
そうなると稽古の内容も「如何に相手の弱点を攻撃するか?」
といった内容になってしまいます。
試合するなら当然でしょうが、合気道は違います。
相手の良いところを引き出して、一緒に導くようにする。
それが「合気とは愛なり」と言われる所以です。
合気道は試合もしないからつまらない。
と言ってくる格闘技関係者も多いですが、基本となる視点がお互い違うからつまらないと感じるのでしょう。
だから、「合気の精神」なんてどうでもいい!という考えは目的を持たずに、ただ上手くなりたいだけ。
単純に段を取得し満足したいだけ。
そんな人には人間の魅力を感じませんし、例え10段だとしても教えを受けたくありません。
合気道の精神は理解するのではなく、自分の内に自分なりの形で形成するものだと思います。
「あなたの合気道をやりなさい」という砂泊先生の談話を思い出します。
正解などない。あなたがどうありたいか?それが大事なのです。
相手と共に導いて行ける「GIVE」する人間になることが私の合気道の目的です。
だから稽古中でも仕事中でも「合気道の精神」を常に考えて行動しています。
ただのテクニシャンにはなりたくないので、人としての合気道家でありたいですね。
たいこでした。